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頭の中はゲームでいっぱい

マッドマックス 怒りのデス・ロード

ヒャッハーな絵をひたすら見せてくれて、わかりやすい楽しさがあった。
スピーカーを山のように積んだトレーラーに炎を吹くギターとか、もうバカでしょ(褒め言葉)。

その一方で、Twitterで絶賛されているのを先に見ていたから、これは良く出来ているなあと冷静に見ていた自分がいたことも確か。

数値の話

特に結論はない話。

例えば素の攻撃力が10のときに攻撃力5の剣を装備したら1.5倍になって超強いんだけど、素の攻撃力が400とかあったらプラス5しても1.0125倍なので誤差の範囲になってしまう。数値1の重みがだんだん減っていく。

数値が1変わると敵の攻撃を確実に耐えられる回数が1回増えるというケースもある。ポケモン対戦ではそういう計算を厳密にやっている人もいる。ポケモンの場合は限りある努力値を各ステータスに割り振っていくから、必要最低限の数値が分かれば他の能力に数値を回せるというモチベーションがある。

確率では0%と1%の間に大きな差がある。ただ、1%と2%では確率が倍になってるのにあまり違いがないように感じてしまう。

足し算の効果が薄くなってくると今度は掛け算の効果が出てきたりするんだけど、そうすると強いキャラと弱いキャラの差が大きくなりそう。攻撃力が50%増えると同じ敵を倒すのに3分の2の攻撃回数で済んでしまう。

数字がインフレすると碌なことがない。

アメリカン・スナイパー

とても重い映画だった。

登場人物がみんな、どうしようもなく仕方なくやった行動が積み重なって、後戻りできなくなってしまう感じが。単純におもしろかったと言えない。

精神的に余裕があるときに見に行ってよかった。

妖怪ウォッチ2真打の感想

すごく売れてるし、ポケモンと比較されることもあるし、気になっていたのでやってみた。クリアした。

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小学生の夏休み気分を味わえる良いゲームだった。

マップの町並みにすごくリアルさがある。自宅の近くには公園があって、その先にはコンビニ、小学校。さらに歩くと神社のある裏山。隣町は駄菓子屋があったりボロいアパートがあったり。

おばあちゃんちに行くときは電車に乗るんだけど、目的地に着くまで窓から風景や空を眺めながらぼーっと待つ必要がある。ただ乗り換えがあるからどこで降りてどの電車にのるかは気をつけないといけない。ゲームの機能的には不便なんだけど、遠くに行くんだから時間がかかるのは当然で、そういうところにリアルへのこだわりを感じた。*1

そういう現実世界でも、妖怪ウォッチを通して見ると妖怪がうようよしている。妖怪世界が現実と地続きになっているという概念がこのゲームのキモ。日常生活でトラブルがあった時に「これは妖怪のせいかな、近くに妖怪がいるのかな」と思わせてしまうんだよね。ゲームの外側であってもそのとき妖怪は見えている。だから、妖怪へアクセスするための妖怪ウォッチや妖怪メダル(のおもちゃ)が欲しくなるというのは、よくわかる。

ポケモンはシリーズを重ねていって世界観が確立されていったけど、それによってもう別世界の話になっていて、現実世界にポケモンがいそうな感じは全くない。まあこの感覚は僕がポケモンとともに子どもから大人になったからかもしれないけど…

妖怪は種族ごとにキャラクター性があって、個体差はあまりなさそうな感じ。使える技は種族ごとに固定されていてカスタマイズ性はほとんどない。普通に日本語しゃべるから性格もだいたい決まっていて、妄想の余地もあまりない。自分だけのジバニャンを育てよう、というより、ジバニャンは車に轢かれたネコの地縛霊で、チョコボーというお菓子が好きで、必殺技は百裂肉球、そういうキャラクター。こっちのほうがキャラクター展開がやりやすいのかなあ。

バトルは妖怪がオートで行動を選んで戦うというシステムで、ここらへんも妖怪はプレイヤーのものではないことを象徴している。基本的にプレイヤーができることは必殺技の発動、アイテムによる回復、前衛後衛のローテーションくらい。なので終盤まで戦闘にあまり達成感がなかったけど、ラストは必殺技やローテーションのタイミングが重要になる歯ごたえある戦いだった。

遊ぶ前はポケモンっぽいゲームとしか思ってなかったけど、実際やってみるとポケモンとは違ったゲームだったし、そうしようとする意思を強く感じるゲームだった。

*1:中盤からはルーラみたいな移動手段が使えるのでゲーム的にも安心

もうずっとTwitterのほうが投稿のメインになってしまった。

Twitterに投稿する時って頭のなかで言いたいことをなるべく短くまとめて書くから、考えは整理されるんだけど、自分の思い込みがストレートに出すぎる感じがする。とりとめもなくつらつらと書くと無駄も多いんだけど、その無駄を一度文字にしてみると新たな視点で見えてくるようになって、考えが広がることがある。