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頭の中はゲームでいっぱい

RPG

いやー今日の文系の授業はおもしろかった。文学研究があんなにおもしろそうだとは。


RPGの戦闘部分とストーリー部分って独立しているように思ってましたけど、全然そんなことなさそうですね。操作できる部分とできない部分、と言ったほうがいいか。
ストーリーで二枚目なキャラでも戦闘で弱いとヘタレに見えるし、ストーリーで目立たなくても戦闘で強いと縁の下の力持ち的印象になったりとか。ドラクエ5スライムナイトとかね。
ポケモンだとエンテイやブースターとか? あれは不当にネタにされすぎな気もする。まあいいや。
キャラの成長の仕方が違ったりすると、ストーリーが同じでも解釈の仕方が変わってくるのよね。ロールのプレイの仕方でストーリーも違った側面を見せるというか。
ゲームのキャラの特徴、性格とかの説明は操作パートで行われるべきだと思うのよね。ストーリー中の言動で説明するっていうのも悪くはないんだけど、それは小説とか劇とかでもできるし。「このキャラは正義感が強いけど無口でほげほげ…」とか書いちゃうのはもう反則。汚い。
もしも、もしもね、FF5ギルガメッシュがさ、むちゃくちゃ弱かったとしたらね、言動が同じでもただのピエロにしかならなかったと思うのよね。あの強いけど強すぎない、絶妙な強さ*1があるからこそ、憎めないライバルになれたと思うのよね。まあ正直最後の展開が大きいんだけど、それまでに積み上げてきたものがあったからこそ「サシで勝負したかったぜ」のセリフが生きると思うのよね。


あと、戦闘部分のシステムを「ゲームだから」って言ってストーリーに持ち込ませないのはよくないよね。戦闘では何度も人が生き返るのにストーリーでは一度死んだら生き返らなかったりとか。あれはうまく使えばすごく効果的な演出になるのにね。
またFF5の話で恐縮だけども、ガラフの最期がまさにこれで。エクスデスとの一騎打ち、連続攻撃を受けてHP0になっちゃうんだけど、いつもと違って死なない。「ワシは死なん!」じーさんの並々ならぬ気持ちが伝わってくるよね。で、エクスデスを倒すもガラフ倒れる。仲間たちが復活させようとレイズやフェニックスの尾を使うも、効果なし。そして息絶える。今まで何度も使ってきた蘇生法が効かないとなると、本当にもうどうしようもないと思わざるを得ない。FF4のパロムポロムのブレイクも似たことがあったね。金の針*2を使っても戻らないというやつ。
だからRPGでストーリー上人が死ぬときはちゃんと蘇生魔法を試みるくらいはしたほうがいいと思うのよ。それかFEみたいに戦闘で死んでも生き返らないシステムにするか。そういうところでリアリティがないゲームが多いような気がするのよね。
リアリティといえば、ステータスが数字で分かるのは最高にリアリティがないと思うね。昔のゲームで数字が多用されてたのは、そうするしか表現の手段がなかったからだと思ってるんだけど、だから最近でも同じことをしてるのは違和感がある。いくら映像がきれいになってもキャラのHPすら表現できないの? だんだん疲れてくるとか動きが重くなってくるとか傷が増えるとか出血しまくるとか、なんかやりかたあるじゃん!たぶん。
ポケモン努力値配分をしててすごく思うんだけど、ただの算数ゲームと化してるんだよね。ダメージ受けましたHP減ります、回復しましたHP増えます、みたいな。技の組み合わせとかパーティ構成とか立ち回りとかもあるんだけど、結局そこにたどり着いちゃうというか。それはそれで大好きなんだけど、果たしてそれが本流になっていいのか。
話がそれた。リアリティね。
リアルな世界を作るんだったら、戦闘部分にもストーリー部部にも通用するような世界観を作らなきゃダメだと思う。そこそこ優秀な作家でも引っ張ってくればいいんじゃないかな。で、そこまでやるならゲームの枠にはめなくてもいい。インタラクティブアートとか適当に名前をつけとけばいい。
ゲームなら触って楽しくなる部分を何よりも先に作るべきで、その後潤滑油にストーリーがいるならつければいいし、いらなければ作らなくていい。世界観(笑)とか後付だよ。


問. 以上の文章をふまえて、僕が何を言いたかったのかだれかおしえてください。

*1:低レベル縛りだと2戦目がすげー強いらしいね

*2:エスナだっけ?