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頭の中はゲームでいっぱい

急ブレーキをしたときに出る砂煙はキャラクターと一緒に動かさないと違和感があるということが分かった。こうやって実際に動かしてみないとわからないこともあるのです。
ここ1年ほど、積極的にはてなを使ってみて僕のインターネット観が変わった。飛び込んでみればみんな受け止めてくれた。わかってくれる人がいた。
一見なんでもなさそうなところにこそ重要なものがあるのだとまた思った。
それは3年と5ヶ月と4日前 そのころは昼休みに暇をもてあましていて 教室で居心地のいい場所は僕の席の周りのごく一部で 窮屈さから僕は校内を散歩することにして にぎわう教室前を一巡りして 僕は芸術棟に向かって そこは音楽室 美術室 とかがあって 昼休みだからそこは静かだった のだが 人が二人いて
なにもなさそうなところに何かがあると思ったのはその日だった。その何かに気づかず何も考えず表面的な意味につられておもしろいなあと思ったのはおとといだった。
今まで散々ああだこうだと書いてはいたものの、いざだれそれが見ていると思うと自然と自由に書けなくなってきているのがわかる。それで話をあいまいに変換するのもまたおもしろいのだけど、そればかりでは苦しいとも思うのです。
なんでそんな窮屈な思いをしているのかというと、誰か個人に向けて僕の個人的な気持ちを伝えたくないからなのです。伝えたところで受け取り主がうれしく思ってくれればいいのだけれど、僕にそんな自信はありません。こんなことを書いて気分を害してはいけないとそんなことばかり考えています。人に気持ちを伝えるというのはそういったリスクがついてまわるのだと理解しています。そして僕はリスクが低いほうを選んでいるだけなのです。
すこし読み返してみて読点がやけに少ない感想を持ちましたが、こいつを無理に入れると歯に物が挟まったような感覚があるのでがんばっていません。こんなことをいつも続けていたから、よく文章を書くのに読みやすい文章を書くことができていない。もともとそんな目標はないのだから気にすることはないけれど、悪い癖がついていたら困るなあと思った。
書き方も色々むちゃくちゃになってるけど、よく見たら自分の話しかたと似ていたりして。人と話しているのにときどき独り言をぐちゃぐちゃとしゃべりだすあたりが。